禅の言葉
放下着 ほうげじゃく と読みます
執着心を捨てて、心穏やかに暮らす
何もかも捨てた時に悟りが得られるとの意味の言葉です。
人が暮らしていく中で、何もかも捨ててしまうことは、なかなか難しいことです、実際何もかも捨ててしまっては暮らしが成り立たないことでしょう。
心の中の不要なものを捨て去ることは、可能なはずです。
その多くは、見栄であったり自尊心です。
それらは、実は不安や悩みの種になっているのです。
捨て去ることで、安定した暮らしが望めるのです。
禅の言葉
放下着 ほうげじゃく と読みます
執着心を捨てて、心穏やかに暮らす
何もかも捨てた時に悟りが得られるとの意味の言葉です。
人が暮らしていく中で、何もかも捨ててしまうことは、なかなか難しいことです、実際何もかも捨ててしまっては暮らしが成り立たないことでしょう。
心の中の不要なものを捨て去ることは、可能なはずです。
その多くは、見栄であったり自尊心です。
それらは、実は不安や悩みの種になっているのです。
捨て去ることで、安定した暮らしが望めるのです。
禅の言葉
無事是貴人 ぶじこれきにん と読みます
毎日を平凡に暮らす平穏
禅語としての「無事」とは、外に向かって求める心をすっかり捨て切ったさわやかな境涯です。
求める心を捨てるとは無気力無関心、惰性で生きろということではありません。
求める心を捨て、欲を捨て純粋な自分を感じると、安らぎの境地を心の底から実感出来ます。
その様な境涯で暮らす人を貴い人であるということなのです。
禅の言葉
百花為誰開 ひゃっかたがためにひらく と読みます。
無心の奉仕の気高さ
春になると美しく咲き乱れる花は誰の為に咲くのでしょう もちろんのこと花は誰の為でもなく、ただ無心に咲いています。
だから、素直に美しいと感じられるのです。
人も日々の行為に見返りを求めずに生きたいものです。
自分の行為を誰かに認められたいとか褒められたいとかの気持ちを持っていると、その見返りがなかった場合の寂しさ、悲しさ、嫌悪感などがより増してきてしまうものです。
孤雲本無心 こうんもとむしん と読みます
空に浮かぶ雲のように自由に生きる
自分の自我を考えずに執着心を捨てて自由に生きること
空に浮かぶ雲は、吹く風のまままるで自由にと大空に浮かんでいます。
人もまたその雲のように、些細なこだわりや一時の慾などにとらわれることなくあるがままに自由な心を持つことが大切です。
行雲流水 こううんりゅうすい と読みます。
物事に執着しないで、流れにまかせましょう
空に浮かぶ雲や川を流れる水のように、その時々の流れにまかせて進んでいくこと深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。
一定の形をもたず、自然に移り変わってよどみがないことのたとえで、物事へのこだわりをなくせば、意外とスムーズにものごとが進むことがあります。
寒松一色千年別 かんしょういっしきせんねんべつなり と読みます。
どのような環境でも変わらずに生きるという教えです。
松は、寒い冬も緑の葉を茂らせています。
この緑色は、千年という歳月を経ても変わることはありません。
人生には、常に楽しい時節ばかりではなく、厳しい環境に身を置くこともしばしばあります。
耐えがたい環境に心が折れそうになった時に、千年色を変えない松の木を思い出すと耐えられそうになります。
つらい冬を変わらずに耐えれば、必ず春は来るとの教えです。
本当の自分を大切に思うこと
人には誰しも何ものにもとらわれない自分がいます。
我々は、よく人と地位や富や容姿などを比べて、自分は劣っていると悲しんだり、羨んだりしてしまいます。
しかし、それは、表面的なもので、本来の自分は、なにものにもとらわれない自分です。
悩みや苦しみにぶつかったとき、自分本来の姿を、もういちど見つめ直してみると気持ちが楽になります。